公民館の活用・推進では、昭和58年の竣工から約40年が経過する旭公民館において、老朽化が著しい空調設備、エレベーター、受変電設備の更新などの改修工事に取り組んでまいります。 文化・スポーツについては、芸術文化の推進として、児童生徒の情操の涵養を図り、芸術活動への参加の機運を醸成する機会として、優れた音楽を鑑賞できる学校音楽鑑賞教室について、毎年1校だった開催を2校に拡大いたします。
文化祭の目的と開催の状況についての御質問でございますが、富里市文化祭は昭和43年の第1回開催から、市民の日頃の文化活動の成果を発表し、また多くの市民が市の文化に親しむことにより、本市の文化の発展を図ることを目的に開催してまいりました。近年では、富里市文化団体連絡協議会との共催により、市民の方々による文化祭を目指しているところでございます。
次に、大きな第3、温水プールについてですが、市営25メートル温水プールは、昭和45年の開設以来、52年を経過し、安全性の確保が難しくなってきています。現在市営25メートル温水プールは、市民や団体の水泳使用のほか、子供から大人までのスイミングやアクアエクササイズ、水中関節運動の定期水泳教室、小学校の水泳授業受入れなどに利用されています。
私の親戚は日本兵として徴兵され、沖縄戦によって、昭和20年5月、21歳で亡くなりました。その人は一人っ子で、残された父親は、終戦から2年後に40代で亡くなりました。曾祖母がお墓だけでも残そうということで、毎年、お盆には私も市内にあるお墓に行き手を合わせています。また、2013年1月には、平和の礎に行き、名前が刻まれていることも確認してきました。
当該地区は、市街化調整区域であることから、地区内居住者への給水を目的として、昭和46年度から昭和50年度の5か年で施設を整備しており、今後の整備予定はございません。しかしながら、近年の開発により水の使用量が増加していることから、新規の開発については管網解析を行い、水道施設の改善が必要と説明しております。 私からは以上でございます。 ○成田芳律議長 環境経済部長、麻生裕文さん。
みそら小学校について、1980年、昭和55年開校いたしましたね、ここは。本校で42年の歴史を刻んでおります。先ほど教育長のほうから「みそら」の由来についてということで、私も知らなかったのですけれども、女性開放運動の第一人者、平塚らいてうさんは、長野高原に行ったとき、小鳥の戯れを見て安堵したのでしょう。その鳥が雷鳥だったので、平塚らいてうと名前をつけたそうです。
本市は、昭和40年台から50年代にかけて、大規模な宅地開発などにより、首都圏の住宅都市として急激な成長を遂げ、それに伴う人口の増加や、住民のニーズを受け、昭和50年代から平成の初めにかけ多くの公共施設を建設してきました。現在そうした施設の老朽化が進行しており、約6割の施設が築30年を超え、順次改修や更新が必要となり、多額の費用が必要な時期を迎えようとしています。
庁舎の位置に関する議論を振り返ってみますと、印西市では、昭和59年から入居の千葉ニュータウン地区が近年大きく発展し、人口の増加や企業進出の大幅増加等の中、平成15、6年の2市2村の合併協議会の中で、庁舎の位置が検討課題になり、また平成22年、2010年の1市2村の合併後には市の東南部に大きく広がった印旛、本埜地区からも市役所の位置の検討を求める声がありましたが、平成22年の大規模耐震改修による庁舎建物
市のクリーンセンターは、昭和53年度の開設以来、40年以上が経過し、施設の老朽化等への対応など御苦労されていると思います。 市では、資源化の推進による一般廃棄物処理に関わる経費の削減や、家庭ごみ搬入手数料の改定などによる財政面で改革を進めてきておられていると考えます。市民サービス向上に努め、今後も引き続きごみの減量化、リサイクルの推進に努められていただきたいと思います。
我孫子市では、昭和40年代の手賀沼富栄養化、水質悪化の深刻化をきっかけに、環境問題への市民の意識が高まり、市民からの直接請求により、昭和56年に我孫子市石けん利用推進対策審議会の設置及び運営に関する条例を制定し、環境に優しい石けんの利用を推進する市民運動として活動を続けています。
昭和女子大学理事長・総長の坂東眞理子氏は、講演で「コロナ禍が女性を直撃した。とりわけ、飲食業や観光業などの対人サービスに従事する女性が大きな影響を受けた。加えて、日本は非正規で働く女性が多く、その方々は職場で弱い立場にある。契約を更新されない、収入が減る、仕事がなくなるなどの被害が女性に多いのは、非正規だったことが大きいと思う。
64: ◯川崎愼一議員 私も個人的には、昭和54年から43年間、土曜・日曜・祭日はほぼ、社会教育の一環としてスポーツ少年団の子供たちと過ごしております。グラウンドを利用させてもらっている以上は、状態の悪い日は無理な利用は避けております。しかしながら、スポーツ合宿で利用される団体、これはまた私どもと考えが違うんですね。
丘陵地域には昭和初期に開墾したものの、現在は耕作放棄地になっているものが見受けられます。こちらは、公益的機能の高い里山に戻していくことも、一つの方法ではないかと考えておりますので、関係する部局と情報共有を図る所存でございます。よろしくお願いします。
去る9月26日に逝去された吉岡様につきましては、昭和46年から平成7年までの6期24年の長きにわたり印旛村長を務められ、順天堂大学や日本医科大学千葉北総病院の誘致など、まちの発展に大きく貢献されました。なお、その長年の功績に対し、従五位を受賞されたところでございます。
まず1点目、浄化槽法の改正の概要でございますが、浄化槽法につきましては、昭和58年に生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図るため制定されました。その後の浄化槽法の改正の概要についてお答えします。 これまで4度の改正が行われておりますが、昭和62年の改正では、合併浄化槽の整備に係る国庫補助制度が創設されました。平成12年の改正では、単独浄化槽の新設について廃止されました。
また、委員から、同診療所の今後の運営について質疑があり、現在の建物は昭和43年に建設され、施設や設備が老朽化していることなどから、個別施設計画において、複合化も含めて施設のあり方を検討することとしているとの答弁がありました。
この条例案は、匝瑳市立のさか幼稚園、これは昭和51年から46年間開園してきた幼稚園ですが、令和5年3月末日をもって廃園するというための条例案です。市の教育委員会及び教育長からは、園児減少のため市立八日市場幼稚園に統廃合するという説明でした。
次に、第4項目の1点目、文化センターの在り方と今後の方向性についてですが、文化センターは、市民の文化、教養の向上及び福祉の増進を図る目的で昭和55年に設置されました。四街道市公共施設再配置計画においても、市内唯一の地域文化の振興拠点として、計画的な改修などにより長寿命化を図り、継続して活用する施設と位置づけられております。
◆本田良議員 大体駐車場がないというのは、これ調べましたら、昭和40年とか50年頃造ったものなのですね、市営住宅ができたのが。その頃は車がぜいたく品だということで、市営住宅に入る人は車には乗らないだろうというあれでなかったのですけれども、今の時代はそんなことはなく、生活保護者の人も車がなくては仕事ができないです。